私の生きづらさとはーアダルトチルドレンと自覚した時

AC(アダルトチルドレン)

みなさんこんにちは。三島ちづるです。

今回は、私が抱える”生きづらさ”についてお話していこうと思います。

もしかしたら、今ご覧いただいているあなたのお悩みと被る内容もあるかもしれません。少しでも共感や何かのきっかけになっていただければと思い、ブログを書きます。

私がアダルトチルドレン(AC)と自覚した時

私がアダルトチルドレン(以下AC)と自覚した時。

それは25歳・一般会社員として働いていた時でした。

仕事の内容は、印刷業界メーカーのポストセールスを担うBtoBの法人ルート営業。

社内他部署・親会社・代理店・お客様と様々なステークホルダーと密にコミュニケーションをとりながら連携して進めていくお仕事でした。

高度なコミュ力を必要とする環境にいた私は、体や頭・心に異変が起こります。

・脳に理由がわからないストレスを感じ処理しきれず緊張の元フリーズして言葉が全く出てこない

・年間360日毎晩、自分責めの反芻思考で涙が止まらない

・同部署の人からゼロヒャク思考と言われたこと

・一定の人物に苦手意識があること

・対等な会話ができないこと

・みんなの輪の外でいるポジションが楽なこと

・自分の考えがまとまらないこと。厳密には、考えを言葉にする過程がすこぶるできないこと

・人の期待に応えて行動することが軸になっていた

・肩こりが治らない、生理痛が重い。常にイライラしている

言語化するとキリがないですが、こうやって書いてみると中々限界ゾーンをアドレナリンでギリギリで生きていたんだなと思います。笑

そんな当時の自分は、できない人間!と自分に×を与え続け、改善の為に社外で人と会いまくったりイベントでコミュニケーション力を深めようと知見を広げようと頑張ったり、資格を取ろうと頑張ったり、0に近かったHPにも気づかずにがむしゃらに改善しようと頑張り続けていました。

そんな中で出会った言葉が”アダルトチルドレン(AC)”でした。

ACと調べると、ざっくり

親や養育者との関係で虐待やネグレクト、家族間に不仲があり、育つ中で自分の感情と折り合いがつけにくい、対人関係での距離感が適切に取ることが苦手などの「生きづらさを抱えて生きる人」

という定義があります。

詳しくはこちらの記事にもあります↓↓

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言いようのない、無限どん底心の穴に名前がついた感覚があって、見えない暗いトンネルにやっと手がかりが見つかったような感覚が当時にありました。

私の生きづらさとは

私の生きづらさは、先ほどの異変が起きた例にも書きましたが、

基本的にはAC特有の思考の偏りやゼロヒャク思考の元のコミュニケーションになるので、対人関係がうまくいかずに思い描く人間関係が作れないというところにフラストレーションがあります。

常に心の中が緊張と不安が常駐しているので、人と話すだけでもものすごい労力になるのです。

ちなみに思い描く人間関係というのは、自分軸・自分の考え・自分が満たされている状態で、人と楽しく健全に対話ができるというところです。

なぜ、私がそれができていると思わないのか?

それは、親との関係性に負の感情が重く残っていたからです。

親との関係性は周りの人間関係を構築する基礎になる

社会に出て痛感するのが、親との関係性がそのまま身の回りの対人関係に現れているということ。ーーーーーショックでした。

特に父親コンプレックスがあり、昔ながらの昭和人間で家の中では父親が絶対的な存在でした。父の気分に左右され、気を遣いながら生きてきたこと。父親の途切れることのない永遠の武勇伝や自慢話や説教を無言で黙って聞いてうん、うん、そうだねと同意する上下の歪んだ関係。

自分の思考は停止しながら、受け身で父親の考えを全面的に刷り込まれていたので、社会に出て自分の中で自分なのか父親の考えなのかそれとも我慢強い母親なのなか、私一人なのに私の中で複数の登場人物の乖離が起こり、全く思考が進まずパニックに陥りました。かつて起こっていた家庭内の関係が自分の中で起こっているトラウマな感覚。それでも尚耐え忍んで仕事をしていました。

 

気づかずに人に従服する、立派に受け身な思考で成長しましたから、当然対等な人間関係を築けない。

この流れが自分の中で落とし込めてしまった時、私はACと自覚したのでありました。

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